|
|
御本尊 阿弥陀如来
天治元年(1124年)に藤原清衡により建立され、当時の奥州藤原文化の数少ない建物の一つです。一辺が3間(5.46m)の宝形造、木瓦形板葺の小堂で、柱・壁・床・天井・扉など総漆塗りの上に布を張りその上に金箔を張っている。
4柱には1本当り4体の仏が3段合計12体、金色堂全体で48体が漆の蒔絵として描かれている。須弥壇内部には、中央に初代清衡・左に二代基衡・右に三代秀衡(四代泰衡首級も)の遺体が安置されています。
須弥壇中央壇・左右壇共にに御本尊の阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩を中心に左右3躯ずつ6躯の地蔵菩薩(六地蔵)、手前に持国天・増長天を配し計11躯の仏像から構成される群像を安置している。ただし右壇の増長天が失われている。又右壇の阿弥陀如来は後世に移入されたものと見なされている。金色堂本来の仏像は31躯となる。
建物の保存は、建立後数十年後には風雨から守る「霧よけ」のような施設が造られていた。
正応元年(1288年)鎌倉将軍惟康親王の命令で覆堂(さやとう)が建設された。現在のは1965年に建設され、旧覆堂は室町時代の建物と考えられており、金色堂北西に移築されている。
Wikpedia他より |