出雲大社の御朱印


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住   所  出雲市大社町杵築東195
 正式名称  出雲大社(いずもおおやしろ
 御 祭 神  大国主大神
 社   格  式内社(名神大) ・ 官幣大社 ・ 勅祭社 ・ 別表神社 ・ 出雲国一宮
 札 所 等 出雲國神仏霊場 第1番
         出雲国一宮

 創建は日本神話に色々と伝承がある。古事記では、国譲りとして「我が住処を皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」といわれた。これに従って多芸伎(たぎし)の浜に「天之御舎(あめのみあらか)」を造営した。
 又垂仁天皇皇子 本牟智和気(ほんむちわけ)が唖で、出雲の大神の祟りである。大神を拝むと治りこれに対し「神宮」を造らせた。
 日本書紀では、高皇産霊尊は国譲りで「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)を千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。
 斉明天皇5年(659年)出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。
 出雲国風土記では、所造天下大神(=大国主命)の宮を造る為、皇神らが集って宮を築いた。
神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)}を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れと述べた。などある。
 本殿は現在は江戸時代延亨元年(1744年)造営で8丈(およそ24m)あるが、伝承では平安時代には16丈(48m)これは中頃(970年頃)源為憲(みなもとのためのり)が書いた貴族子弟の教科書「口遊(くちずさみ)」のなかで建物高さ比べで、「雲太(うんた)、和二(わに)、京三(きょうさん)」とあります。雲太=出雲大社・和二=東大寺大仏殿・京三=京都御所大極殿という順になっています。
2000年に巨大な宇豆柱(1本1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘され出土品から宝治2年(1248年)造営の本殿の可能性が高まった。
 更に古代では32丈(96m)という伝承もあります。

 出雲大社HP

 オリジナル御朱印帳があります
  色違い(赤)があります。出雲大社ではなく、おみやげセンター開運堂での販売

銅鳥居 拝殿
出雲大社 御朱印
出雲神仏
一宮専用
2回目
3回目