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住 所 橋本市隅田町垂井622
御 祭 神 誉田別尊 (ほんだわけのみこと;応神天皇)
足仲彦尊 (たらしなかつひこのみこと;仲哀天皇)
息長足姫尊 (おきながたらしめのみこ;神功皇后)
貞観元年(859年)に欽明天皇の詔により八幡宮が勧請されたのは、神功皇后が外征後、大和の都に御還幸の途次、輦(れん;車)を駐め滞留された旧跡の所以、と伝わる。
永禄3年(1560年)松永弾正久永により焼失、慶長年間に再建される。
当神社を有名にしたのは、国宝「人物画像鏡」で、舶載(はくさい)鏡を手本に作成された彷製(ほうせい)鏡で、日本最古の金石文として名高い。年代が「癸羊」は383・443・503年のどれかと解釈されている
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