住 所 京都市左京区永観堂48 正式名称 聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺 (しょうじゅらいごうさん むりょうじゅいん ぜんりんじ) 宗 派 浄土宗西山禅林派 山 号 聖衆来迎山 寺 格 総本山 御 本 尊 みかえり阿弥陀仏像 開 基 真紹(しんじょう) 札 所 等 法然上人二十五霊場 縁故本山 洛陽六阿弥陀仏 2番 西山国師十六霊場 8番 一般には通称永観堂として知られる浄土宗西山禅林寺派禅林寺山号を聖衆来迎山院号を永観堂と称す。 開基は空海の高弟の真紹(しんしょうょ)僧都である。 仁寿3年(853年)に藤原関雄の邸宅跡に寺院を建立。当時の京都では私寺は建立は禁止されており、貞観5年(863年)に当時の清和天皇より定額寺としての勅命と「禅林寺」の寺号を賜り公認の寺院となった。 中興の祖とされる7世住持律師・永観(ようかん)の時に浄土教色を強める。薬王院を設け病人救済など慈善事業も盛んにおこなう。 この永観律師が在したことに由来して「えいかんどう」と呼ぶようになる。 御本尊阿弥陀如来立像は、顔を左に曲げた特異な立像である。 伝承で永保2年(1082年)永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来の周囲を行道していたところに阿弥陀如来が須弥壇から下り永観と一緒に行道をし始め驚いた永観が歩みを止めると、阿弥陀如来は振り返って「永観遅し」と言ったという。阿弥陀如来像それ以来首の向きが元に戻らずそのままの御姿で安置されているという。 禅林寺12世の静遍(じょうへん)僧都が法然上人に帰依し念仏門に入った。禅林寺は真言宗から浄土宗西山派の寺院となった。 Wikipediaと永観堂HPより 御朱印を頂く時に何も言わないと西山国師が書かれる。 永観堂HP オリジナル御朱印帳があります。
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西山国師 | ||||||||||
法然上人25霊蹟 | ||||||||||
洛陽六阿弥陀佛 | ||||||||||
文殊菩薩 |
御影堂(大殿) | 阿弥陀堂 | 多宝塔 | 多宝塔からの紅葉 |